エキップ英語教室 エキップ英語教室

大阪府 豊能郡 能勢町 下田尻1060

塾長 ブログ

5KM TO GO

2024/5/28

    5km to go は「残り5km」という意味です。距離だけでなく、時間にも使え、10 minutes to go なら「残り10分」です。
    私は30代、トライアスロンをやっていました。アイアンマンと呼ばれる長距離レースは、3.8kmスイム→180.2kmバイク→42.2kmランで競われます。スイムがあるため、大会の多くは夏に行われます。午前7時スタートが標準で、私の場合は日没に近い午後7時までにゴールするのが目標でした。
    感覚的には丸一日、「このペースで大丈夫だろうか?」→「大丈夫。行けると思うよ」という自分自身との問答だけをし続ける体験は他では経験できないものです。
    「5KM TO GO」がランコース上に見えた時はすごくうれしいのですが、37キロ走ってきた身体には余力は多くはありません。

    to go はファストフードの店で「店外に持って出る」の意味でも使われます。One Double Cheeseburger to go.のように使ってください。店内で食べるのであれば、One Double Cheeseburger for here.です。

    本当に残念な言葉

    2024/5/25

      学校勤務時代、残念なことは多くあったが、「本当に残念なこと」は幸い僅かしかなかった。その一つに中学校勤務時代に遭遇することになる。
      37年間の教員生活の中で、中学校に合計して7年間勤務した。私立中学校なので、全員が中学受験を経て入学してくる。全員が全員というのではないが、自分の志望校ではなく、また親の希望校でもなく、塾の指導によって、合格する可能性だけを考えて出願校を決定する場合があるようだ。こうなると、入学時点から完全に「負の思考」を周囲に撒き散らしてしまう場合がある。
      「あー、英語か。だるー。嫌な科目が一つ増えた。うざー」これを聞いた時は本当に耳を疑った。英語という外国語との新しい出会いに、希望に目を輝かせて来るものだとばかり思っていたから、本当にまさかまさか、そんなことを考えたり、ましてやそれを口に出して吐き出してしまう生徒がいるなんて。未だに忘れもしない、本当に残念な言葉だった。

      省略の美学と補強の論理

      2024/5/23

        日本語は共感性を前提としているから、書かれていないことを補って理解することが日常となっている。それが普通なものだから、そこに「何か書かれていないことがある」ということに気づかない。
        例えば、朝日新聞の「天声人語」はどうだろう。日本語らしい「非論理の典型的な文章」と言ってよい。こういう文章に接するとほっとすると感じる人もいるだろう。だが、天声人語的文章を国語の記述指導に持ち込まれると、英語のWriting指導と食い合わせが悪い場合が多い。
        日本語では、書かれていない個所は「期待されるように補って」、書き手に心を合わせて理解してくれる読者を必要とする。その観点からすると英語は「くどくどしく趣に欠ける」のかもしれない。
        日本語は間違いなく伝わる〈書き手・読み手の「場の空気の共有」〉を前提としており、英語は間違いなく伝わるように、〈文と文とのつながりや構成に「論理」〉を必要とする。

        ×Convenience stores are useful. You can buy some food whenever you like.
        「コンビニは便利だ。いつでも好きな時に食べものが手に入る」は日本語としては必要にして十分だが、英語的論理は通っていない。

        〇Convenience stores are useful. They allow you to buy some food whenever you like.
        「コンビニは便利だ。そのおかげで、いつでも好きな時に食べ物が手に入る」

        主役は生徒なのか?

        2024/5/21

          現役教員時代、生徒が主役というフレーズを何度も聞いたことがあります。学校生活を始める「入学式」、学業を終える「卒業式」。そういう式典での「主役は生徒」には何の異存もありません。「初めまして。これから一緒に頑張ろう」。…「おめでとう。よく頑張ったね。パチパチパチ」。
          歓待され、承認され、祝福されるのは生徒です。

          しかし、日々の学びを仕切る「主役は教師」でなければならないと私は思います。〇〇高校で学びたいと思って、生徒は入学してきたはず。それが前提。であれば、その希望の場で、「さあ、一緒にこれをやろうや」と、教師は練った計画を用意して、生徒を待ち構える必要があると思います。

          時に、「どんなことを授業でやりたいか生徒に聞いてみようと思います」とおっしゃる先生がおられます。そういう発言に、私は違和感しか覚えません。そんなん生徒に聞いて決めることなん?

          音をつくるのは母音、それとも子音

          2024/5/18

            現役教員時代、入試問題を毎年作問してきた。
            筆記試験で、SpeakingやListeningの力を測ることはできないが、疑似問題として、単語に引かれた下線部の音が同じものを選ばせたり、異なったものを選ばせる問題がある。
            入試過去問や問題集等では、下線部が引かれているのは「アイウエオ」の音に近い母音であることが多い。まれに子音に下線が引かれている場合もあるが、入試問題への採用実績としては母音の大勝利は間違いない。
            では、なぜ、子音は問題になりにくいにのだろうか。答えはもちろん、作問しにくいからである。やってみればわかるが、母音に比べ、子音はそれぞれがキャラクターの立った音であり、類音から異なる音を探し出すような問題とのなじみが悪いのだ。ありうるとすれば、スペリングと音の差異に着目する問題になる可能性が高い。
            逆に言えば、その単語を人が認識する際に、子音は母音よりより大きな役割を果たしていると言ってよい。子音の持つ濃いキャラクターが母音の支えを得て、その語の音の輪郭をしかと浮かび上がらせているのだ。
            子音を正確に発音できること、そして子音をきっちり捉える耳を持つことに意識を集中させると、SpeakingやListeningに好影響をもたらすことができるのではないだろうか。
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