塾長 ブログ
自分でコントロールできることに集中する
2024/5/16
「自分のコントロールできることに集中する」というのは、元ニューヨーク・ヤンキーズ 松井秀喜さんの決まり文句。
自分を見極めて、自分の今やるべきことを知る。自分の将来を他者に依存しない。他者が成功したとか失敗したとかに、自分の思考・行動を左右されない。
人間には欲がある。自分には最大の幸福を願い、そのためには時として他者の不幸も仕方がないと思ったりする。だが、そんな空想に浸っていても、自分の技量は向上しないし、他者の努力は止められない。なら、自分のできること、やるべきことに集中した方が、自らの「現状改善→未来像の現実化」にははるかに効果的だ。
おそらく同じことを、かつて「平常心」という言葉で色紙にしたためたのは、ミスタータイガース:掛布雅之さんだ。
お二人はその境地に達するまで、どれくらいの努力を日々の鍛錬に注がれたのだろうか。
自分を見極めて、自分の今やるべきことを知る。自分の将来を他者に依存しない。他者が成功したとか失敗したとかに、自分の思考・行動を左右されない。
人間には欲がある。自分には最大の幸福を願い、そのためには時として他者の不幸も仕方がないと思ったりする。だが、そんな空想に浸っていても、自分の技量は向上しないし、他者の努力は止められない。なら、自分のできること、やるべきことに集中した方が、自らの「現状改善→未来像の現実化」にははるかに効果的だ。
おそらく同じことを、かつて「平常心」という言葉で色紙にしたためたのは、ミスタータイガース:掛布雅之さんだ。
お二人はその境地に達するまで、どれくらいの努力を日々の鍛錬に注がれたのだろうか。
believe考
2024/5/14
believe = 「信じる」と考えている人が多いが、実はbelieveには「信じる」という日本語が放つほど強い意味は備わってはいない。
[ロングマン]によれば、
think: to believe that something is true
believe: to think that something is true or possible, although you are not completely sure
のように、thinkの定義をbelieveを用いて、またbelieveの定義をthinkのよって行っているのだから、think that S'V'とbelieve that S'V'はほぼ同義と言ってよい。
believeには「確信がなくても」という譲歩の意味を加えている程度だから、関西弁で表せば「~なんちゃう?知らんけど」が適訳となるのではないか。
英語は同じ語の繰り返しを嫌うから、think/believeは、「Of course.でもいいんだけど、今は気分でSure.ね」と同様、代替の効く同意表現ということだ。
だから日本語話者がせっかくbelieveを使うなら、I firmly believe that S'V'.くらいには表現しようではないか。〈firmlyは「堅く」の意味です〉
[ロングマン]によれば、
think: to believe that something is true
believe: to think that something is true or possible, although you are not completely sure
のように、thinkの定義をbelieveを用いて、またbelieveの定義をthinkのよって行っているのだから、think that S'V'とbelieve that S'V'はほぼ同義と言ってよい。
believeには「確信がなくても」という譲歩の意味を加えている程度だから、関西弁で表せば「~なんちゃう?知らんけど」が適訳となるのではないか。
英語は同じ語の繰り返しを嫌うから、think/believeは、「Of course.でもいいんだけど、今は気分でSure.ね」と同様、代替の効く同意表現ということだ。
だから日本語話者がせっかくbelieveを使うなら、I firmly believe that S'V'.くらいには表現しようではないか。〈firmlyは「堅く」の意味です〉
Customerと呼ばれて
2024/5/11
30代の頃、トライアスロンをやっていた。雑誌『Tarzan』の企画:アイアンマンハワイを目指す「チームターザン」の勝又紀子さんに触発されて始めたのだ。
アイアンマントライアスロンは水泳3.8km、自転車180.2km、マラソン42.2kmを連続して行う。当時はアイアンマンが琵琶湖で開催されており、(滋賀県だから)一番近くて、(出場レベルの高さから)一番遠い大会だった。
参加費は現在では800ドルほどするらしい。1ドル=150円で計算すると、12万円にもなる。今は国内大会も無いから、海外大会に出場しようと思ったら、航空券代や宿泊費、その他で50万円では足りないだろう。かつての円高の時なら、何とか30万円代で収まった。海外に出て行こうとする者にとって、円安は悪夢である。
さて、私にとって最後のアイアンマンとなったのは、2003年のアイアンマン・オーストラリアだが、主催者から届いたメールには幻滅した。「Dear Cusutomer,」となっていたからだ。「お客様」はないやろ~。主催者の本音はそうでも、「Dear Athlete,」にしてほしかったな。
アイアンマントライアスロンは水泳3.8km、自転車180.2km、マラソン42.2kmを連続して行う。当時はアイアンマンが琵琶湖で開催されており、(滋賀県だから)一番近くて、(出場レベルの高さから)一番遠い大会だった。
参加費は現在では800ドルほどするらしい。1ドル=150円で計算すると、12万円にもなる。今は国内大会も無いから、海外大会に出場しようと思ったら、航空券代や宿泊費、その他で50万円では足りないだろう。かつての円高の時なら、何とか30万円代で収まった。海外に出て行こうとする者にとって、円安は悪夢である。
さて、私にとって最後のアイアンマンとなったのは、2003年のアイアンマン・オーストラリアだが、主催者から届いたメールには幻滅した。「Dear Cusutomer,」となっていたからだ。「お客様」はないやろ~。主催者の本音はそうでも、「Dear Athlete,」にしてほしかったな。
currencyの特徴
2024/5/9
円安基調が止まらない。歴代最長政権を率いた〇〇首相は、自分の名を冠した〇〇ノミクス政策の目指すところについて、「〈円安によって〉輸出企業が潤い、やがて日本中に恩恵がトリクルダウン。増加する訪日外国人がお金を落とし、経済は好転。税収もアップして国債依存からも脱却」のような説明をしていたと思うが、現状の暮らしはどうか?
さて、表題のcurrencyは「通貨」を意味し、形容詞currentの派生語である。currentは「流通している→現在の」の意味だが、名詞としても用いられ、「(水・空気の)流れ」を表す。current/currencyは「流れ」繋がりで、水の流れ→お金の流れへとイメージが広がった。時間と共に過去が流れ去り、「現在の」状況が出現する。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」は鴨長明『方丈記』の冒頭部分だ。水は流れなければ腐って異臭を放つ。お金も使って流通させなければ、「持つ人も、受け取る人も」その恩恵を受けることができない。将来への不安からお金を帯同し、流通させない人が増えれば、その分currencyは本来の機能を失っていく。
さて、表題のcurrencyは「通貨」を意味し、形容詞currentの派生語である。currentは「流通している→現在の」の意味だが、名詞としても用いられ、「(水・空気の)流れ」を表す。current/currencyは「流れ」繋がりで、水の流れ→お金の流れへとイメージが広がった。時間と共に過去が流れ去り、「現在の」状況が出現する。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」は鴨長明『方丈記』の冒頭部分だ。水は流れなければ腐って異臭を放つ。お金も使って流通させなければ、「持つ人も、受け取る人も」その恩恵を受けることができない。将来への不安からお金を帯同し、流通させない人が増えれば、その分currencyは本来の機能を失っていく。
ロミオとジュリエット
2024/5/7
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』より
If love be blind, it best agrees with night.
「恋は盲目というのなら、なおさら夜こそ相応しい」
シェイクスピアは日本でいえば、安土桃山時代の人で、当時使われていた英語は現代英語の原型に当たると言われています。この時代の文法では、「時・条件を表す副詞節」の中は「仮定法現在(主語+原形不定詞)」という形で表されました。これは話者の想念を表す表現でした。
しかし、時が流れ人が入れ替わると用法は変化していきます。「『If love be blind』は変じゃないか?『If love is blind』の方が自然だろ!」という本来は間違いである表現を支持する人が多数を占めるようになったのです。
If love is blind, it best agrees with night.
〈時・条件を表す副詞節の中では、未来のことでもwillは用いず、現在形になる〉という現代文法の誕生です。粋かどうかは分かりませんが。
If love be blind, it best agrees with night.
「恋は盲目というのなら、なおさら夜こそ相応しい」
シェイクスピアは日本でいえば、安土桃山時代の人で、当時使われていた英語は現代英語の原型に当たると言われています。この時代の文法では、「時・条件を表す副詞節」の中は「仮定法現在(主語+原形不定詞)」という形で表されました。これは話者の想念を表す表現でした。
しかし、時が流れ人が入れ替わると用法は変化していきます。「『If love be blind』は変じゃないか?『If love is blind』の方が自然だろ!」という本来は間違いである表現を支持する人が多数を占めるようになったのです。
If love is blind, it best agrees with night.
〈時・条件を表す副詞節の中では、未来のことでもwillは用いず、現在形になる〉という現代文法の誕生です。粋かどうかは分かりませんが。